ライトダウン

読書したいという気持ちだけ先走る

風景を誤読する。中山を歩いていた。


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夜の中山へ向かって歩いている


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遠くに鳥瀧神社が見えてくる

 

言いたいことが何もない

自販機の光りが明るい 

 

 


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光の坂を登る

 

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7月に歩いた時は見えなかった階段が見えた。

暗いのに、明るい日に気づかなかった階段が見えた。

見ていたのかもしれない。

けど行かなかった。


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暗い空が明るい。


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歩く理由はない。

そこに言葉もない。

もう話すことが全て遠くに行く。

無理に言葉を吐いて気持ちが悪くなるばかりだった。



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遠くに猫がいた。

 


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近くに猫がいた。

 

 

2023/09/16

 

 

 

 

 

 

 

 

 

声を聴く-遠さ-遠景

なんか、猫。

はじまっとります宇宙世紀。

すごい豆腐。

 

損しようぜ。

ほんとうに。

 

握っているクレジットカードぐちゃぐちゃにしても支払いはやってくるよ。

 

見えないとこでたくさん動いているの怖いよ。

逃避としての野菜を育てよう。

それすらもなんか嫌だ。

 

ずっと間違えてもいいし、間違えていい。

ほんとうに。

 

言葉がないよしばらくは。

気づけば新しい家が建っているよ。

疑問形はすべて怖いよ。

なんにも価値がないよ。

 

なんかちょっと読みやすいようにとか文章考えてる時マジでやばい。

ヤバすぎる。

ツルハドラッグのポイント貯めてもどうしようもないのに。

三回くらい見えない鎖から解放されて、ギリギリの信号は渡らない。

 

ありスパの「いる人」コーナーの馬のリズムで階段降りる人、みたいなのヤバすぎる。

 

濡れた木の匂い、悪くない。

 

2023/7/20

うおー2023年Infinity-DREAMHAPPINESSLUCKY

気づけば2023年だった。年月が変わるだけで自分が変化するということもない。「あけましておめでとうございます」と自分の口から発せられる時、自分ではない自分が喋っているようで少し気持ち悪い。

今年の自分は、来年の自分は、などと自分に「一年」という区切りを付けて語り始める時、そこに欺瞞が生じる。もっと、地続きの、くだらない生活を長く続けている自分の存在が暗がりに隠れてしまっている。自分の人生が途切れることなく歪みながらも続いている一本の線であることに目を向けなきゃ。と考えて過去の自分に苦しめられている気もする。

サイバーパンクエッジランナーズを見てからというもの、むかし好きだった人がずっと夢に出てくる。いま再会したいとさえ思っていないのだけど、ただ夢の中だけにいる。エッジランナーズを見て以来、恋と愛が自分の中で明確に分かたれた感覚があって、恋に興味がなくなっている。自分にも他人にも、創作にも。嫌悪感のようなものまで生じている。その一方で愛とは何か、みたいな話になる。

 

細々と気が向いたときに音楽を作っています。近日中には一曲完成しそう。そう言って数ヶ月経ちました。 

 

言いたいことが何もなく、書きたいものもなにもない。映画脚本のハウツー本みたいなの読んで生きてます。

 

2022/01/12

 

 

水

最近、水ばっかり飲んでいる。しょうがなくなって夜中に自販機で飲んだことのない炭酸を買った。あんまり好きな味ではなかったのに飲み干さなければいけない気がした。

 

雨が降っても外に出る理由を考えているときには既に外に出ている。資源でもごみでもない何かになる。止まらない 照らさないをモットーにしてもいいかもしれない。雨が止んでも傘をさしている。坂を下る自転車の光はあっけない。マンホールの下は騒がしい。

 


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↑ダチが勝手に描いた笑

 

眼瞼痙攣

このページを開くと、書きたいことがなにもなくなってしまう。歩いているときは言いたいことが山ほどあって、考えていることもいくつもあって。

 

雨で濡れたビニール袋が氷った水たまりのような円を作っていた。

 

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しばらく眺めて、もう一枚写真を撮った

 

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しばらく眺めて、もう一枚写真を撮った

 


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寝転んで空を撮った

コップの氷が溶けて崩れるときの速さで、空を仰いだ

 


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古ぼけたアパートが解体されて新しいアパートが建った。

 

人通りの多い駅で弾き語りの歌声が遠くから聞こえてきた。その声の主が、そこに来るまでの、決心して家を出て辿り着くまでの、静寂をまとった絶妙な呼吸のことに思いを馳せる。

 

すべての家が人みたいに見える

 

曲がり角があると自転車や車に轢かれないか心配になる

 

人がまばらのバスとすれ違う

 

夜が更けても雲が見える

 

まだ明かりのついた家がある

 

知らない曲の知らない歌声がまだ耳に残っている

 

夏の風がまとわりついてどこかに消える

 

この路地の向こうにはまだ道がある

 

 

 

2022/07/07

 

 

 

五等分の花嫁、流行ります。

オモコロ杯の結果発表を12時間後に控えて尚、五等分の花嫁を読み進める手が止まらない。

結果が出て、自分の作品が果たして賞を取るか否かに関しては、正直なところ大きな関心がない。ただ、賞レースに作品を出すからにはより上の賞を取れるように作るべきだと思うし、そのつもりでやった。でなければ賞や、あるいは自分の作品に対して失礼だと思うから。

 

一番興味があるのは、「オモコロという媒体がどういった作品に賞を出すのか」という点にある。

編集長である原宿さんが「最近はFunny100%ではなくなってきた(Interestに寄ってきている)」と発言していたことは興味深い。それは彼の原宿日報やTwitterの投稿を見れば明らかではあるが。自分の周辺で話題に上がったことのある『動いている庭』や『あいたくてききたくて旅にでる』を原宿さんが話題に出したときの衝撃は記憶に新しい。

 

年々、求められているのはオモコロっぽ〜〜い文体や写真使いでオモコロっぽ〜〜い雰囲気の記事を仕立て上げることではない、ということが態度として如実に現れている。というかネット記事の主流がInterestを交えたFunnyになってきてないか、そんなことないか。

 

どういう記事に賞を出すのだろう。自分の記事がノミネートされるよりも、何がどう評価されているのか、その評価軸が気になる。願わくばノミネートされていたらもちろん嬉しい。去年銅賞を獲ってしまっただけに、なまじ緊張はする。

 

『時間の比較社会学』真木悠介をずっと読んでいたら、マンガが読みたくなって五等分の花嫁を3巻まで買ってしまった。いままで、なんとなく流行っている・なんとなくウケていることと五人のキャラクターの造形だけ知っていた。マンガ、というか絵の面白いところって「描いている」ところにあると思う。何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが。たとえば絵の中における“鏡”は、そこに必ず描き手による描写が発生する。現実の鏡は何もせずとも鏡面に向かい合うだけであらゆるものが反射して写し出される。しかし絵はそうはいかない。鏡を描いたとて、現実のようには写し出されず、そこには描く行為が発生する。どうやっても描き手の意図や技術がそこに漏れ出す。見せ場とか伏線のようではないコマにも、描くという行為を通じて作者の意図や技術が反映されてしまう。物語の情報だけをなんとなく追うのではなく、すべてに息の吹きかかった広大な作者の庭をゆっくりと散歩するような気持ちで味わおう!みたいな気分で五等分の花嫁を読んでいる。

 

ここ数年、自分の身になるような専門書を読まなきゃ!という半強迫的な思考に陥って難しそうな本ばかりに手を伸ばそうとしていたが、世間的に人気なマンガも読むし、専門書も読むし、でいいんじゃね?と自分に言われてからハッとしてマンガを買った。なんとなくそれで心が軽くなって、いろんな本に手を出す抵抗がどんどん薄れていった。マンガに飽きたらまた『時間の比較社会学』を読んで,という併読もそれでいいじゃないの、と思うようになって心が軽い。

 

 

 

 

 

ことばの森をかきわけて歩いている。

 

ことばの森をかきわけている。

 

今、タフマンがあつい。


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知らない街、知らない道を歩く。

そこには自分がいない。

移ろう景色をなぞるカメラがただ道を這っている。

 


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街角の果てのアミューズメントパークまで連れてく道を忘れてしまう

 

今、どんな森をかきわけて歩いているのか。片手には空になって冷えたコーヒーカップを携えている。

 


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意味もなく対岸でのみ通じ合う距離の話をしているつもり

 

公園の果てはわからないまま道に溶けていく。そうして道がどこまでも続いていく。

 


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冷めた椅子・机に空のぬくもりが刺さる痛みをことばに換える

 

だから歩いている。猫の後ろ姿を追う。老人に怪訝な顔をされる。何度もこちらを振り返る。


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夕やけと夜の狭間に置いてきた焼きいもの音 辿る道すじ

 

情けなさとは朝焼けのような脆さで降ってくる光のことだと言っている。

 

ことばの森をかきわけて歩いている。

 

 

2022/1/31